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今日は職場例会でパワーポイントがないため、お話だけになります。我が大分中央ロータリークラブのロゴになっている府内城についてお話してみたいと思います。
週報をご覧ください。そこに描かれているのは、手前が府内城の西の丸二重櫓、奥に小さく見えるのが東の丸着到櫓です。
この府内城は、別名大分城、荷揚城、白雉城とも呼ばれます。ちなみに荷揚の地は当時荷落と呼ばれていたのですが、縁起を担いで荷揚に改めました。
城郭構造としては梯郭式平山城、海城などに分類されます。天守閣は現存していませんが、1607年当時は4重4階であったようです。
この城を最初に築城したのは福原直高です。この武将は有名な石田三成の妹婿です。築城は1597年から開始され、1599年に完成しています。直高はこの城が完成して入城後1か月で徳川家康らによって徐封されました。
その後を継いで1601年に豊臣秀吉の軍師であった有名な竹中半兵衛重治の従兄弟か甥にあたるといわれている竹中重利が入府し大改修を実施しました。そして1607年に概ね改修が終了しました。
その後、1634年に重利の子である竹中重義が長崎奉行当時の不正による罪で切腹、改易となり、代わって日根野吉明が2万石で入城しました。日根野家は1656年に吉明に跡継ぎがないため廃絶となり、1658年に吉明の親戚で、当時府内高松藩の領主であった松平忠昭が入城して、幕末まで続きました。ちなみにこの松平氏は、大給松平氏といって、徳川家康の子孫ではなく、先祖が親戚筋に当たる家になります。知行は、約2万石程度で大きな藩ではありませんでした。
以上が府内城に関わる大名の歴史です。皆様の知識の参考になりましたでしょうか?