大分中央ロータリークラブ

2025/10/7 会長の時間

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私の履歴書 成人編
 皆様、前回は私の「誕生編」をご清聴いただき、ありがとうございました。19 歳、やまなみハイウェイ
での横転事故で話を終えましたが、今回はその直後から始まる「成人編」をお話しさせていただきます。
青年期の最大の試練:20 歳の急性肝炎
 横転事故が私に真剣に将来を考えさせましたが、その翌年、私は更なる大きな試練に直面します。
 昭和59 年、私が20 歳になった年です。度重なる無理がたたったのでしょう。私は急性B 型肝炎を患い、高熱と黄疸に苦しみ、約3 ヶ月の長期入院を余儀なくされました。
 病状を確定させるため、腹部にメスを入れる腹腔鏡下生体検査も受けました。B 型肝炎は安静第一、トイレもベット上が基本でしたが他が元気なので歩いて行かせてもらいました。頭はクリアーなのにベットで一日過ごすのは退屈でした。
 そして、この時、私は幼い頃に抱いた保険への不信感を払拭します。契約していた保険から、90 日分の入院給付金と、手術給付金を受け取ることができ、経済的な不安なく回復に専念できました。
 父の死の際の悲しい経験とは裏腹に、私は「困った時に本当に助けてくれる仕組みがある」ことを知り、社会の助け合いの仕組みの意義を心から理解したのです。この経験が、後の私の進路と仕事への向き合い方に決定的な影響を与えることになりました。

中年期の連続する試練:40 代の事故と病
 急性肝炎を乗り越えた後、私は社会人としてスタートを切り、仕事に邁進する日々を送ります。しかし、試練は忘れた頃にやってきました。
43 歳:人生を象徴する再度の事故
 平成19 年、私が43 歳の時のことです。若い頃から大好きだったバイクに乗って、私は自損事故を起こしてしまいました。
 怪我は重く、両腕の複雑解放骨折、そして顔面も眼底骨折と鼻骨骨折という大怪我でした。この大怪我により、3 ヶ月の入院、そして退院後の6 ヶ月にわたるリハビリ、合計9 ヶ月という長期の療養生活を送りました。
 この療養期間を支えたのが、やはり保険でした。
・生命保険からは、入院給付金と手術給付金。
・自動車保険からは、入院・通院給付金。
・そして、機能障害に対する後遺障害保険金(5 級)。
 この多岐にわたる補償は、私自身が自己責任を全うし、家族を経済的な困難から守るための「セーフティネット」として、比類のない価値を発揮しました。この事故は、私が長年携わってきた仕事の社会的な使命を、誰よりも切実に理解する機会となりました。
46 歳:健康の再確認
 バイク事故から数年後の平成22 年、46 歳の時、今度は胆石による胆のう炎を患い、腹腔鏡下胆のう摘出術を受けました。
 この時も、もちろん入院給付金と手術給付金を受け取りました。中年期に至って、再び保険という仕組みに守られたことは、健康という基盤の大切さを再認識させてくれました。
47 歳:五度目の試練と「食」への感謝
 翌年平成23 年、47 歳の時、今度は腸閉塞(イレウス)で入院しました。手術の影響で腸が癒着したためです。
 治療のため、2 週間の絶食と、苦しいイレウス管の処置を受けました。この経験を通して、私は人生で初めて、「食べられる」という日々の何気ない幸せに心から感謝するようになりました。この時も、入院給付金のおかげで、療養に専念できました。
 私のこれまでの歩みは、度重なる事故や病気という試練の連続でした。しかし、その一つ一つが、私に命の尊さ、家族の愛、そして社会の助け合いの仕組みの重要性を教えてくれました。
 私の人生における大きな出来事の多くには、幼い頃から大好きだった乗り物、バイクが深く関わっています。今日は、私のもう一つの履歴書とも言える、バイク歴についてお話しし、成人編を締めくくりたいと思います。
幼少期から中年期まで:私のバイク遍歴
 父の影響で、物心ついた頃からバイクが大好きでした。小学4年生から高校1年まで続けた新聞配達で原付免許を取得
し、アルバイトを重ねて手に入れた400cc のバイクで19歳の右直事故を起こしたことは、既にお話しした通りです。
 しかし、その事故で痛い目を見たにもかかわらず、私にとってバイクは「危険な趣味」ではなく、人生の相棒」であり続けました。仕事で成功を収め、経済的な安定を得てからも、私の情熱は衰えませんでした。
 私がこれまで所有してきたバイクの主な車種は、こちらになります。
ヤマハ フォーゲル、XJ400D、XL250R、ゴリラ( メッキバージョン)、スカイ、リード80、スーパーカブ、VT250、
XJ750E、SRX600、DSC1100、マグナ250、マグナ250 チョッパー、モンキー(30 周年記念モデル)、ホンダ ジョルノ( スクーター)、トライアンフ ロケット3
 若い頃に夢見た400cc から、最終的には世界の頂点の一つであるトライアンフ ロケット3 にまで辿り着きました。
 バイクは私にスピードの快感を教えてくれましたが、それ以上に謙虚さと自己責任の重さを教えてくれました。そして、「人生は何度でもやり直せる」という希望を与えてくれました。

青年期から現在まで:私のクルマ遍歴
 父の影響で、乗り物全般が大好きだった私にとって、クルマは単なる移動手段ではなく、社会人として目標を持ち、夢を叶えるための象徴でした。
 私がこれまで所有してきたクルマの主な車種は、こちらになります。
セドリック330、ミラ、ワンダーシビックSi、ニッサン ラングラー、セリカリフトバック、グランドシビック、いすゞ ビックホーンハンドリングby ロータス(前期)、いすゞ ビックホーンハンドリングby ロータス(後期)、オペル アストラ、ステップワゴン、オデッセイアブソルート、フォルクスワーゲン RUPO、ゴルフGT、メルセデスベンツ W124 ワゴン、メルセデスベンツ W124 セダン、メルセデスベンツ C200、ボルボ V90、アバルト595、ジムニー、フェラーリ 812 スーパーファスト
クルマが教えてくれたこと
 このリストを見てお分かりのように、私のクルマ遍歴は、国産車の実用性から始まり、やがてドイツ車の品質と安全性を求め、最終的にはイタリアの高性能車という、少年時代の夢そのものにまで辿り着きました。
 特に印象深いのは、「W124 型メルセデスベンツ」です。当時の私は、「いつか本物の良いものに乗りたい」という強い目標を持って仕事に邁進していました。このW124 は、単なる高級車ではなく、その妥協のない品質と耐久性が、私の仕事への姿勢にも通じるものがあり、大きな目標達成の象徴となりました。
 また、フェラーリ812 スーパーファストは、私の人生における様々な困難や試練を乗り越え、諦めずに努力を続けた結果として、最後にたどり着いた「夢の頂点」ですが、まだまだ続くと思います。バイクが「人生の相棒」を象徴するなら、クルマは「努力と成果の証」と言えます。どちらも私の人生に欠かせない、熱い情熱の対象であり続けました。